創業者インタビュー:株式会社めいが目指す、「運動」としてのホテル

2019年秋のオープンに向けて、築45年の建物をリノベーション中の河岸ホテル。
目指しているのは、現代アートの若手芸術家が共同生活を送りながら、同施設内で作品を生み出すことのできる滞在型複合施設です。

プロデュースを担当しているのは、京都を拠点に、土地の文化や文脈を読み解き、新たな価値を提案する不動産企画会社の株式会社めい
ものづくりに特化した工房付きクリエイティブビル・REDIYなど、一風変わった切り口のシェアハウス事業を中心に展開する企業です。

小難しくて、なんだかよそよそしい雰囲気のある「不動産」という業界。
ここに、あえて「アート」という領域を織り込むことで、どのような風景が生まれるのでしょうか。
河岸ホテルのプロデュースを担当する、株式会社めいの代表2人(扇沢友樹・日下部淑世)に、河岸ホテルにかける想いについて聞きました。

 


「温かい不動産」をつくりたい。

 

– 株式会社めいは、京都を拠点に多くの職住一体型シェアハウスを運営しています。創業の背景を教えて頂けますか?

日下部:私が子供の頃、アーティストであった母親が、自ら命を絶ってしまいました。
それ以来、彼女がなぜ精神を病んでしまったのか、ああならなくて済むような社会の仕組みはあったんだろうか、とずっと考えていて。
それがきっかけで、アーティストや個人事業主といった、自分のやりたいことを見つけ、それを形にしようとする人たちの生き方に関わる仕事がしたいと、学生の頃から漠然と考えていました。

株式会社めいのパートナーである扇沢との出会いは、大学卒業を間近に控えた2011年でした。
扇沢は当時から、「温かい不動産」をやりたいと言っていて。

2人の興味関心を足し合わせれば、 不動産というものを介して、たくさんの人の人生に寄り添える仕組みが作れるのではないかと思ったんです。 ここから、株式会社めいが生まれました。

 

– 2人のコラボレーションから生まれた活動なんですね。扇沢さんは、なぜ「温かい不動産」をやろうと思ったのでしょうか?

扇沢:中学生の頃から経営者の自伝本が好きで、将来は自分で仕事を生み出したいと考えていました。
不動産を志したのは20歳、初めて日本の人口減少グラフを見た時です。
 歴史上今までに経験したことない速度で人が減り、場所が余る時代に、不動産という業界に自分の仕事の文脈を置くことを決めました。 

ひと昔前の不動産って、土地・お金がまずは大事で、入居する人間そのものは、それほど大事にされてこなかった。
それって、場所より人が圧倒的に多かった時代だからなんですよね。でも、これからは逆で、土地・お金よりもユーザー(入居者)を大事にできる不動産企画が必要になってくると思っています。
「温かい不動産」とは、キャリアや人との関係性など、入居者の人生を豊かにできる不動産のことです。
こうした想いから、株式会社めいでは今まで、職住一体型のシェアハウスプロジェクトを企画運営し、「温かい不動産」を実践してきました。

 

– 2011年の創業から現在まで、河岸ホテルのアイデアはしばらく温めていたと聞きました。河岸ホテルのアイデアはどのように生まれ、今に到るのでしょうか?

日下部:アーティスト支援の具体的な方法として、住居、ギャラリー、制作場所といった、アーティストの必要とする機能が全てが備わった建物をプロデュースしたい、という夢はずっとありました。
思いついた10代の頃はまだ構想段階で、人に理解や共感してもらえるだけの説得力がなかったのですが、まずは工房付きクリエイティブビル・REDIYをプロデュースするなどして、活動の伏線をはりはじめました。

河岸ホテルの舞台は、野菜・果物卸売を生業とする京都青果合同株式会社の元女子寮です。しばらく空きビルとなっていたこの建物との出会いは、2人で活動をはじめて5年ほど経った頃です。

今まで扱ったことのない規模の建物に、最初は戸惑いました。しかし、扇沢と話し合ううち、一般向けの宿泊施設もついたアーティストのための複合施設、というアイデアがしっくりきて。
 宿泊施設を設けることで、受付や案内など、河岸ホテル内部での雇用の機会も生まれます。同施設内で働くことができれば、ここに居住する若手アーティストも収入の心配をすることなく制作に集中できますよね。 それからどんどんアイデアが膨らんでいきました。

現在京都は新しいホテルも急増傾向で、このタイミングで始めることへの迷いもありました。
しかし、物件やオーナー、支援者、アーティストたちとのありがたい出会いが重なり、このタイミングで活動を開始することを決心しました。

扇沢:株式会社めいでは、今までシェアハウスをいくつか運営してきました。独自の生き方を模索する人たちが集まるシェアハウスやレジデンスには、パワーが貯まっていきます。濃密でエネルギーのあるコミュニティが持続する場づくりをしたくて、工房付きの職住一体型ビル・REDIYや、河岸ホテルをプロデュースすることになりました。

 

目指すのは、「創造や物語の舞台」としてのホテル

– いくつかのシェアハウスを運営されていますが、ドットを繋げ、それぞれの施設を面としてつなげていくようなイメージはあったのですか?

扇沢:日下部と出会ってから、「伏線をはる」という言葉を意識しはじめました。
ベクトルを見せるというか、点と点を結んで、私たちが目指している方向性を周囲にはっきり示していくことを、常に意識しています。
この伏線上にないことは、できるだけやりたくない。
「これをやれば儲かる」というタイミングや機会を掴んだものがあったとしても、安易な方向に手を伸ばして、目標を見失いたくないんです。
地道に「こういうことをやりたい」と周囲に公言しながら実行に移していくことで、信頼を得ていけたのではないかという感覚がありますね。

イメージしているのは、チェルシーホテルやエースホテルです。
単なる観光消費としてのホテルではなくて、 創造や物語の舞台となり、地域のランドマークとなるホテルを目指したいです。 

日下部:河岸ホテルから派生して、周囲の環境が元気になっていくような、「街をつくるホテル」を作れればと考えています。

 

– 「街をつくるホテル」は良い言葉ですね。京都中央卸売市場近郊にある河岸ホテルですが、このエリアには何を還元したいと思っていますか?

扇沢:中央卸売市場のあるこの丹波口エリアは、朝の3時から昼前まで、大変活気のある場所です。
私たちが朝起きる頃には、既に市場で大きなビジネス取引を済ませた人たちが帰路についている。この環境って面白いなと。
午後には私たちが昼間の仕事を開始し、住んでいる人もいるので、オフィス街などと違って、時間別にそれぞれのレイヤーが共存する。まさに、24時間使い倒しているエリアだなと思っています。

河岸ホテルでは、地下のアトリエを24時間使用可能にする予定です。
アーティストって、夜中に作業する人も多いですよね。寝ている間に誰かが仕事をしている場所って’、パワーがあるし、やる気も出る。このエリアに来て、その活気とパワーを体験してほしいです。

一方で、ここは空き家物件が多いエリアでもあります。こうした’場所を上手く活用することで、点の活動を面的につなげ、より大きなインパクトを生み出せるのでは無いかと思っています。

 

– 最後に、河岸ホテル創業にあたって、皆さんに伝えたいメッセージを一言頂けますか?

扇沢 河岸ホテルは、不動産企画というよりも「運動」という姿勢でプロデュースしています。日本の不動産の新しい在り方に対する運動でもあるし、アート運動の新しい拠点にもなって欲しい。 みなさんも楽しみながら、ぜひ運動の一部に関わって頂ければと思います。

日下部:河岸ホテルでは、アーティストが生活をしながら作品を生み出す場所に、誰でも実際に足を運ぶことができます。
実際にアーティストと出会い、関係性を築けることで、アートを身近に感じてもらう機会になるのではと考えています。

扇沢:地下には、朝限定でオープンするギャラリーも設ける予定です。
朝にオープンしていたら、市場で働く人たちにも仕事終わりに見てもらえますよね。市場のおじさんとアートとのギャップが素敵で、そんな新カルチャーの予感に出会えると嬉しいです。
例えば、お気に入り作家の話を熱弁しながらモートラ(市場を走り回っている運搬車)を運転する新しい層のアートコレクターとすれ違う、そんな意外なシーンが生み出せればと思っています。

 

– ありがとうございました!

 

( 文:Mariko Sugita 写真:Hanako Kimura)


 

プロフィール

日下部淑世(くさかべとしよ)
株式会社めい ファウンダー 宅地建物取引主任士/IT・企画担当
2011年同志社大学経済学部卒。『アーティストの幸せとは何か』をテーマに様々な形態のアーティストにインタビューしながら、コンテンツ産業を専攻し、産業の成り立っている業界構造について学ぶ。大学卒業のタイミングで株式会社めいを設立。幼少期の画家である母の自死をきっかけに、自己実現とコミュニティにまつわる企画運営を行っている。

扇沢友樹(おおぎさわともき)
株式会社めい ファウンダー・株式会社ゆい 代表取締役
宅地建物取引主任士/不動産コンサルマスター/不動産ファンドマネージャー 2011年京都産業大学法学部卒。専攻は税法。不動産や投資について学ぶ。大学卒業後、株式会社めいを設立。人口減少社会の不動産企画とファイナンスを テーマに事業を行なっている。

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