アーティストインタビュー:新宅加奈子「”生きている感覚”を取り戻す」ためのアート

2019年秋のオープンに向けて、築45年の建物をリノベーション中の河岸ホテル。今回は、第1期のアーティスト募集で選出され、入居が決まった新宅加奈子さんに、作品への思いや、河岸ホテル入居に対する意気込みについて、話を聞きました。新宅さんは、全身に絵の具を纏う行為を、パフォーマンスとして作品化しています。

 


 

– アートを始めたきっかけについて教えて頂けますか?

中学の後半から、アートに興味を持ち始めました。それまではピアノを習っていて、クラシック音楽が中心の生活でしたね。ピアノの練習中の合間に、テレビでふと、サルバドール・ダリの特集番組を観ました。それで、感動してしまって。彼の独自性や概念の構築の仕方、作品の自由さに、訴えかけられるものがありました。この経験から、アートへの転身を決意しました。

高校は芸術系の学校で、当時から既に、3次元で立体作品を作っていきたいという思いが強くありました。大学も総合造型コースという立体系の学部に進んだのですが、次第に、私の表現したいものが、身体性の強いものだということに気づいたんです。立体物を作り出すよりも、身体を使ったほうが、自分が伝えたいことを伝えられる気がしました。

– 現在の作品のスタイルを確立するに至った道のりを教えてください。

大学院に入って、「I’m still alive」というパフォーマンスを始めました。頭のてっぺんからつま先まで、全身に絵の具を被る行為を作品にしています。絵の具を被ること自体は、高校生の時に始めました。友人と一緒にグループ展をしたときに、公園に大きなケント紙を並べて、音楽やダンスをしながら絵画を作ったのですが、その時、ものすごく開放感を覚えたんです。「生きていること」ことを確認した瞬間でした。

絵の具を被ることによって、そこから生まれる皮膚との関係性にも興味があって。自分が「生きている」こということの確認行為として、これを続けていこうと確信しました。

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新宅加奈子「I’m still alive」

 

– 「自分が生きているこということ」とはどういうことでしょうか?

なぜ、自分が生きているこということを確認しなければいけないのか?という問いに繋がっています。私はずっと、家庭環境に問題がありました。その時の家庭環境のせいもあって、なんとなく肉体と精神が離別してしまっているような、生きているか死んでいるか分からないような感覚があったんです。ある種の不自由さを感じていたのですが、なぜか絵の具を被ることでそれが開放されました。きっかけ自体は些細でしたが、この塗料のパフォーマンスに出会えて、とても良かったと思っています。

現代の社会では、肉体的拘束と精神的負荷によって、精神と肉体の離別化がどんどん進んでいるのではと思っています。誰でも気づいていないだけで、よく分からないけどしんどさを抱えている人々が沢山いるはず。私たちは、自身の身体と精神の関係性にもっと注意を払い、他者とコミュニケーションの方法を模索する必要があると思います。私の場合はそれが「絵の具を被る」という行為でしたが、みんながみんな絵の具を被れば良いとは思っているわけではなくて。個から逸脱し、解放されるための行為は、人それぞれにあると思います。その行為のひとつの事例として、この作品を社会に提示できればと思っています。

最近、アートの実践者ではないけれど、私のパフォーマンスやトークショーにきてくれた人がいます。絵の具を被るという行為はその人には遠い存在でしたが、私のパフォーマンスを見ることで、「自分も何かできるんじゃないかと思いました」、と言ってくれました。嬉しかったですね。

– 素敵ですね。普段、パフォーマンスはどのように行われるのですか?

4~8時間かけて、座ったままの姿勢で絵の具を身体にかけるパフォーマンスを行います。身体の動きというよりは、身体の上で、塗料が自分の体温で硬化していくのを見せていきたいと思っています。20~30分ごと、塗料が乾いたら自分でまたかけ直します。

身体は人間にとっての「アンテナ」だと持っています。特に皮膚は、そのアンテナの要素が強い。塗料に水など液体をかけると、そこがセンシティブになるのが人間らしくて。絵の具をかけた瞬間は外部の空気を感じますが、自分の体温で塗料が硬化して、それが自分の皮膚のようになってゆく感じが面白いといつも思います。乾いてから動くとパラパラと落ちて脱皮する感じも、新しい自分に生まれ変わるようで興味深いです。

また、身体の上で混ざり合う塗料に心を惹かれるので、写真を撮るときは3原色プラス白を使っています。塗料には、片栗粉を入れて使用します。

– 河岸ホテルへの入居はどうやって決めましたか?

制作場所の確保は大きいです。それまでは大学や工房があったのですが、独立してからあまり制作に適した場所が見つからなくて。また、河岸ホテルは、出入りが多く人との交流が盛んな場所になるということに魅力を感じました。こうしたさまざまな人と交流することで、新しい考えやアプローチに出会えるのではないか、と思いました。

– これから挑戦したいことはなんでしょう?

身体表現をもっとやりたいと思います。舞台芸術に携わっているメンバーと、先日団体もつくりました。海外とのコネクションも欲しいですね。中国や台湾などともどんどん今後コラボレーションしたいです。

プロジェクトの立ち上げやディレクションにも関わってみたいです。そうすることで、自分で個展や展覧会をするときにより良いアプローチができ、自由度が高まるのではと思っています。河岸ホテルでこれは勉強してみたいですね。起業にも興味がありますね。仕事も入りやすいし、様々なジャンルの方と会えたり、制作の自由度も高まるのではと思っています。周りに起業された方が多いのも影響してます。

– チャレンジしたいことが盛りだくさんで、今後が楽しみですね。

はい。パフォーマンスというものは後にオブジェクトとして残らないものなので、例えば塗料の地層を作品にする、など新しいアイデアもあります。

アーティストは個々で作品を作るスタンスが今まであったと思うのですが、最近は、個を伸ばすことよりも、「誰とやるのか」が大切なのだと気づき始めました。その方がお互いの能力を補いながら、良いものができる。なので、今も一人で作品を作っている感覚はありません。もっといろんな人と出会い、関わってみたい。その意味で、人が集まる河岸ホテルは、素敵な場所だなと思います。


 

新宅加奈子(しんたくかなこ)

ステートメント:
時々私は裸になって絵の具を全身に纏います。皮膚の上で混ざり合う絵の具は、私が私である事を超え、人間という身体を持った存在である事も忘れさせます。それは単なる欲求や衝動ではなく、自分が自分として生きていく為に必要な行いとして始まりました。むしろ、儀式のようなものだったのかもしれません。私の日常のなかで現実感が希薄になり、放っておくと、「今ここにいる」という実感が徐々に失われていき、その恐怖で、私の心身は硬直してしまう事があります。その為、私はこの儀式を繰り返す事により、そのような恐怖を取り除き、そして確かに生きている事を確認しているのです。

 

( 文・写真:Mariko Sugita )

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